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大分野 影響(生体応答・生物影響・健康影響を含む)
中分野 細胞・組織・個体レベルの影響
タイトル 眼の水晶体
説明 白内障は、本来透明な水晶体が混濁することであり、混濁の部位と程度によっては視覚が障害される。国際放射線防護委員会は、放射線被ばくにより生じる視覚障害性白内障を組織反応確定的影響)に分類し、その発症を防止するために水晶体等価線量限度を設定している。ICRPは、2011年に放射線作業者に対する水晶体等価線量限度の引き下げを勧告し、日本では2021年度からそれを取り入れた線量限度の施行開始が予定されている。ここでは、水晶体の特徴、放射線白内障の発症機構と放射線影響研究の観点からの今後の課題について解説する。

1. 水晶体の特徴と白内障の分類

 眼の水晶体は、外から入ってきた光を屈折させて、網膜にピントを合わせる凸レンズの役割を果たしている。水晶体は、前面一層の水晶体上皮細胞とそれが分化した水晶体線維細胞が、水晶体嚢という被膜に包まれた構造をしている。水晶体嚢の前半分は前嚢、後ろ半分は後嚢、前嚢と後嚢の境界は赤道部と呼ばれる。後嚢下とは、後嚢の中央部の内側のことで、水晶体上皮細胞層は前嚢下にある。水晶体の中心部は、古い水晶体線維細胞が硬い核を形成している。核の外側は皮質と呼ばれ、新しい水晶体線維細胞によって形成される。水晶体線維細胞は規則的に整列している[赤羽ら、2014]。
 水晶体は、生体のなかでもかなり特殊な組織であり、その例として、透明であること、血管がないこと、生涯成長を続けること、がん化しないこと、水晶体を構成する全ての細胞がその生死と無関係に生涯を通じて水晶体内部に留まることなどが挙げられる。水晶体が透明な主な理由は、水晶体上皮細胞が水晶体線維細胞に終分化する過程で、細胞核、ミトコンドリア、小胞体など、光の散乱体となる全ての細胞内小器官が分解されるため、水晶体線維細胞の中身がクリスタリン多量体を主成分とするタンパク質水溶液になるためである[赤羽ら、2014]。水晶体上皮細胞は、水晶体内で唯一増殖可能な細胞であり、特に水晶体上皮の増殖帯で増殖する。
 白内障とは、本来透明な水晶体が灰白色や茶褐色に混濁することであり、混濁すると光の乱反射や網膜への不達などが生じることから、混濁の部位と程度によっては視覚が障害される。白内障は、世界における失明原因の第1位であるが、先進国では、大半の症例について、混濁した水晶体を人工的な眼内レンズで再建する日帰り手術によって治癒が可能である。日本における失明原因は、緑内障が第1位で、白内障は第7位である。白内障は、発症部位によって、主に、後嚢下白内障、皮質白内障、核白内障の3つに分類され、原因によって発症部位が異なる。白内障の主因は加齢であり、加齢白内障は、主に皮質白内障であるが、核白内障や後嚢下白内障も観察されている。電離放射線への被ばくによって誘発される白内障(以下、放射線白内障)は、後嚢下白内障が最も多く、次に皮質白内障が多く、核白内障が最も少ない。後嚢下白内障の原因には、電離放射線の他に、ステロイド薬の内服、糖尿病、アトピー性皮膚炎などがある[赤羽ら、2014]。放射線影響に関する他の障害(がん、染色体異常など)と同じく、水晶体も放射線に特異的な変化を示さない。

2. 放射線白内障の発症機構と今後の課題

 白内障の発症機構は不明であるが、水晶体上皮細胞から水晶体線維細胞への分化の不全による細胞内小器官の残存、水晶体線維細胞の配列の乱れ(誤整列)、クリスタリンタンパク質の異常凝集が、主な機構として考えられている。(赤羽ら、2014)ICRPは、水晶体の細胞のうち、増殖帯(水晶体上皮層のうち最も増殖が盛んな領域)が放射線白内障の誘発に最も重要であるとしている。水晶体の3 mm線量当量は、眼の表面から3 mmの深さに増殖帯があることにもとづく。ICRPは、最新の基本勧告(いわゆる2007年勧告)で、骨髄(造血臓器)、生殖腺(卵巣と睾丸)と水晶体が、生体で最も放射線感受性が高い組織であるとしているが、水晶体上皮細胞の放射線致死感受性が高いということはない。
 ICRPは、視覚障害性白内障に対する新たなしきい線量を、被ばくの線量率によらず0.5 Gyと2011年に勧告するにあたり、様々な仮定の上で判断をした。1つ目は、微小混濁は直線型の線量応答関係を示すが、視覚障害性白内障がしきい線量型の線量応答関係を示す組織反応であるという仮定である。しかし、特に長期追跡した場合、しきい線量を伴わない直線型の線量応答関係を示す疫学的知見の報告が増えてきていることもあり、放射線白内障が確率的影響である可能性をICRPとして初めて議論された。2つ目は、白内障に線量率効果がないという仮定で、その根拠は、遷延被ばくしたチェルノブイリ事故清掃員でのしきい線量が急性被ばくした原爆被ばく者でのしきい線量より大きくないことであり、慢性被ばくのしきい線量は疫学的知見の不足から不明とされたが、近年、慢性被ばくや遷延被ばくも白内障の増加を示す疫学的知見の報告が増えてきている。線量率依存性の有無は不明のままであるが、水晶体内の細胞の入れ替わりは、線量率効果が認められる他の組織に比べて、著しく限定的であることから、ICRPの仮定は、現時点では、妥当と考えられる。3つ目は、微小混濁が視覚障害性白内障に進行するという仮定で、その根拠は、原爆被ばく者における被爆後50年以上の白内障と白内障手術に対する放射線リスクのレベルがほぼ一致したためであるが、被ばく後30年以内の時点では軽減例や非進行例が多くの原爆被ばく者に認められたこと、白内障手術のリスク増加は原爆被ばく者以外の被ばく集団で認められていないことから、進行性については不明である。これらの仮定の妥当性については、今後も更なる検証が必要であり、そのために更なる放射線影響研究が必要である。
 2011年のICRPの議論は、光子(X線とγ線)を中心とする低LET放射線の知見に基づくものである。しかし、原子力作業者の一部、航空機乗務員、宇宙飛行士、粒子線治療患者などは、高LET放射線(中性子など)に被ばくする。高LET放射線の白内障に関する疫学的知見は皆無に等しいが、動物実験からは水晶体に対する生物学的効果比(RBE)が他の組織よりとても高いことが示されている。現在のICRPの放射線防護体系では、本来は確率的影響のための係数である放射線加重係数(wR)を組織反応にも利用しているが、ICRPは等価線量限度の廃止を検討しており、水晶体に対するRBEの検討が重要となる。
 水晶体は、生涯がん化しないが、実験的にはSV40ラージT抗原でがん化可能なことから、水晶体には強力な発がん抑制機構が備わっているに違いない。興味深いことに、ヒトでも動物でも、がんに関連する遺伝子の白内障への関与が示されてきている。放射線白内障については、ヒトでの知見はないが、ATM、Rad9、Brca1、Ptch1の関与が動物実験から示唆されており、個人感受性の観点からも、更なる研究が必要である。
 白内障は、眼部などの放射線治療後の代表的な有害事象でもある。放射線防護では、50年間や生涯など、被ばく後の長期にわたるリスクを考慮している。放射線治療では、5年以内の有害事象を主に考慮しているが、治療成績の改善により、治療後の生存期間が長くなるにつれて、考慮すべき有害事象発生までの期間も長くなる。そのため、放射線影響評価は、放射線防護だけではなく、放射線治療の有害事象推定にも有用であろう。
キーワード 水晶体、白内障
図表 図1:水晶体の図 [浜田信行、 放影協ニュース. 95: 15 - 23.(2018)]
参考文献 赤羽恵一ら、水晶体の放射線防護に関する専門研究会中間報告書( I )-水晶体,白内障,ICRP が勧告した新たな水晶体等価線量限度の概要-、保健物理、49 (3), 145 - 152(2014)
浜田信行ら、ヒト正常細胞のコロニー形成実験から明らかになった新事実、放射線生物研究. 49: 318 - 331.(2014)
浜田信行、 眼の水晶体に関する生物学・疫学・放射線防護、放影協ニュース. 95: 15 - 23.(2018)
浜田信行、新版 放射線生物学 第2章(窪田宜夫 編、医療科学社、2015年発行)
Hamada N, Fujimichi Y. Classification of radiation effects for dose limitation purposes: history, current situation and future prospects. J. Radiat. Res., 55: 629 - 640 (2014)
Hamada N et al. Emerging issues in radiogenic cataracts and cardiovascular disease. J. Radiat. Res., 55: 831 - 846 (2014)
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参照サイト
作成日 2020年12月
更新日