提供: SIRABE
移動先: 案内検索
大分野 影響(生体応答・生物影響・健康影響を含む)
中分野 分子レベルの反応
タイトル トリチウム生化学基質の影響(UNSCEAR2016報告書を中心に)
説明 この解説では、トリチウム化生化学物質(biochemical substrates)の影響についてUNSCEARによる2016年の報告書[UNSCEAR, 2016](以下、「UNSCEAR2016報告書」と記載)を中心にまとめる(文末の括弧内の数字は、UNSCEAR2016報告書における見出し番号を示す)。

1. トリチウム化生化学物質の代謝
本項における「トリチウム化生化学物質」とは、分子中の一部の水素がトリチウムに置換されたブドウ糖、アミノ酸、ホルモン、DNAおよびRNA前駆体などを示す(特に断りのない限り、光学異性体は、生体内で主として存在する化学形とする)。(45、95)
UNSCEARは、「放射性医薬品の製造施設では、トリチウム化生化学物質を生成し,病院での健康診断や医学・生物学の研究活動に使用している。」(95)の記述のように、トリチウム化生化学物質の起源として人工的に合成する放射性医薬品製造施設について述べている一方で、光合成などの代謝による生合成については詳しく記載していない。実際、植物可食部中のOBTの濃度変化についての研究[天野ら、1997]はあるものの、化学形まで詳しく調べたものは少なく、MosesとCalvin[1959]は、代謝研究目的で、クロレラの光合成などによって短時間にトリチウム水のトリチウムが種々の有機物に取り込まれる実験をしているが、その際に使用している濃度は1ml中に1Ci(3.7×1010Bq)で、日本の放射線関連施設排水中のトリチウム水の規制濃度である60Bq/mlと比較して量が桁違いに大きい条件、しかも短時間での結果であり、低濃度での取り込み・長期間の蓄積については不確定である。

トリチウム化生化学物質は、吸入や皮膚汚染、意図しない経口摂取などをすることによって、体内に取り込まれ、内部被ばくする危険性がある。(95)
体内に取り込まれた生化学物質は、一般的に、血流中に入り込み、細胞内の代謝が活性な部位に到達すると、体内組織の有機分子として直接取り込まれる。これは、トリチウム水(HTO)などの無機トリチウム化合物にない特徴でもある。有機分子に取り込まれたトリチウムは、体内の滞留時間がHTOよりも長くなるが、最終的には、トリチウム化生化学物質が部分的に酸化され、体内の水分(HTO)に移行するか、低分子量の有機分子として排出される。(95)
特にトリチウム化DNA前駆体([3H]チミジン、[3H]デオキシシチジン)がヒト体内に摂取される、または動物に投与されると、大部分はHTOまたは代謝された生化学物質となるが、一部のトリチウム化DNA前駆体は、DNAを複製するS期に直接DNAに取り込まれる。分裂細胞のDNAに取り込まれたトリチウム化DNA前駆体は、選択的に増殖細胞の細胞核をベータ線で被ばくさせる。(46、95)
トリチウム化DNA前駆体の急性摂取および慢性摂取の両方の場合について、増殖細胞の細胞核における吸収線量は、同量のHTOを摂取した場合の線量よりも1 - 2 桁高くなる。トリチウムのベータ線の水中における平均飛程は0.56 μm,最大飛程でも6 μmであり,(38)ベータ線の飛程は哺乳類細胞の細胞核の直径(6 - 15μm)に比べて大幅に短いため、DNA結合トリチウムの分布のみならず、局所の吸収エネルギーは臓器、組織、細胞内で極めて不均質となると判断される。そのため、UNSCEAR2016報告書では「有機結合型トリチウム(OBT)についてICRPが提示する預託実効線量係数は、トリチウム化DNA前駆体の摂取に対しては直接適用すべきではない」としている。さらに、トリチウム化DNA前駆体のような場合に臓器や組織に均一線量を当てはめる考え方を適用するには、慎重な考慮が必要とし、参考として、細胞核内のトリチウム局所化を考慮して線量を計算する文献(NCRP、1979など)を挙げている。(137, 171)

2. 影響研究
トリチウム化生化学物質に関する生物影響を個別に調査した研究は少なく、そのほとんどがDNA前駆体およびアミノ酸を使ったものである。
UNSCEAR2016報告書には、げっ歯類の個体を用いた動物実験及び細胞レベルの実験が取り上げられており、動物実験では、トリチウム化生化学物質の投与が確定的及び確率的影響の両方を誘発することを報告している。(242)ここでいう確定的影響とは致死性のことであり、確率的影響とは動物では発がん突然変異であるが、細胞では発がんではなく、染色体の相互転座遺伝子突然変異である。一連の実験により、[3H]L型リジンおよび[3H]デオキシシチジンなど細胞核親和性化合物(nucleotropic form)の影響が大きいことが証明され、摂取放射能あたりでは、[3H]チミジンはHTOよりも5 - 10 倍影響が高いとされる一方、「3H標識ヌクレオシドについては、哺乳動物細胞の分布に関するデータが不足しているため、組織と細胞の線量の考え方を適用することはできない」としている。(242)
また、トリチウム化生化学物質を含む培地中での哺乳動物細胞や胚の培養実験報告の結果から、UNSCEAR2016報告書は「培地中のトリチウム標識生化学物質の単位放射能濃度あたりで評価した放射線生物学上の影響は,HTOと比較して最大1,000倍まで,物質間で最大数十倍まで変化する」とまとめている。(250)なおANSのトリチウム白書では、Müller(2010)がin vitroの研究に対し代謝の影響が無視されていることを指摘している。
最後にUNSCEAR2016報告書は、「HTOまたはOBTの摂取の結果として現れるOBTの影響は、ICRPモデルが予測するよりも大きい可能性がある」という指摘の存在を認めつつも、いくつかの研究者グループ(Takeda、1991など)による、HTO摂取後の線量に対するOBTの影響は小さく(10%未満)、OBT摂取による線量もそれほど大きくならないという報告を引用し、「OBTの摂取による合計線量がHTOの摂取より約2倍大きくなるとしたICRPの結論には合理性がある」と結論付けている。(87)
なお、UNSCEAR2016報告書で引用されていたTakedaの論文では、ラットを用いてHTOのほかに[3H]ロイシン、[3H]リジン、[3H]グルコース、[3H]グルコサミン、[3H]チミジン、[3H]ウリジンを飲料水に混ぜて慢性的に摂取させ、投与開始から22日後に肝臓、腎臓、精巣、脾臓、肺、心臓、小腸、筋肉、脳の湿組織中の総トリチウム濃度と乾燥組織中のOBT濃度を調べるという実験を行っている。この研究では、飼育期間中に尿中のトリチウム濃度を測定し、約10日目以降にほぼ一定の値になることを確認したのち、個々の組織について過去に求められた含水量データを使用して、臓器ごとのトリチウム放射能濃度およびベータ線の平均エネルギーから線量率を求めている。その結果、トリチウム水を経口摂取したラット臓器におけるOBTの線量への寄与割合は肝臓が最大で10.6%であることや、[3H]リジン、[3H]チミジン、[3H]ウリジンによる線量率はトリチウム水摂取による線量率と比較して少し高かったのに対し、[3H]ロイシン、[3H]グルコース、[3H]グルコサミンによる線量率はトリチウム水とほぼ同じか少し低いこと、さらには臓器ごとのOBT摂取による線量率はトリチウム水摂取による線量率の2倍以下である、という結果を得ている。

参考までに、ICRP Publication 72における、ヒト成人のトリチウムに対する預託実効線量係数は、HTOが1.8×10-11Sv Bq-1であり、OBTが4.2×10-11Sv Bq-1である。
キーワード UNSCEAR2016、チミジン
図表
参考文献 ・Moses, V and Calvin, M, Photosynth studies with tritiated water, Biochim. Biophys. Acta, 33, 297 (1959)
・NCRP. Tritium and other radionuclide labeled organic compounds incorporated in genetic material. NCRP Report No. 63. National Council on Radiation Protection and Measurements, Bethesda, (1979)
・Takeda, H. Incorporation and distribution of tritium in rats after chronic exposure to various tritiated compounds. Int J Radiat Biol 59(3): 843-853 (1991)
参照サイト ・UNSCEAR, UNSCEAR 2016 Report: "Sources, effects and risks of ionizing radiation" ANNEX C Biological effects of selected internal emitters?Tritium, 245-359 (2016)
https://www.unscear.org/docs/publications/2016/UNSCEAR_2016_Annex-C.pdf
・天野 光ら、IV-4 植物中におけるトリチウムの挙動、日本原子力学会誌 39, 929 - 930 (1997)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesj1959/39/11/39_11_914/_pdf/-char/ja
・ICRP. Age-dependent doses to members of the public from intake of radionuclides: Part 1. Publication 56. (1990)
https://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/ANIB_20_2
・Müller, WU, Cell nucleus seeking OBT: a still neglected problem? TOL et noyau de la cellule: un probleme encore neglige? Livre Blanc du tritium, ed. ASN, 245-250(2010)
https://www.asn.fr/l-asn-informe/publications/rapports-d-expertise/livre-blanc-du-tritium2
作成日 2021年12月
更新日