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大分野 | 影響 |
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タイトル | チェルノブイリ事故の急性健康障害 |
説明 | 1986年4月26日、当時の旧ソ連邦(現ウクライナ)にあるチェルノブイリ原子炉4号炉が爆発炎上し、原子炉建屋が破壊され、原子炉内にいた従業員や事故処理に当たった人々が急性放射線症候群注1になった。 (1)被ばく線量推定 1986年から1990年に復旧作業に従事した作業員は、主に外部被ばくを受け、その線量は平均で約120mSvと推定されている。記録された作業員の線量は10mSv以下から1000mSv以上に及び、そのうち85%は、20 - 500mSvであった。 (2)健康影響 事故当日、約600名の人々が発電所で働いていたが、爆発事故により放射線被ばくと熱性火傷のため237名が病院に収容され、134名が急性放射線症候群と診断され、中28名が熱と放射線の両方による火傷及び放射線障害のため4ヶ月以内に死亡した。時折、31名の死亡者がいたと発表されている報告があるが、それは原子炉爆発による2名の即死者と、作業終了後の帰途中に冠動脈血栓症で死亡した1名を含んでいる。 28名の急性放射線症で死亡した人達の詳細な報告がUNSCEAR2000年報告書に発表されている。 重篤度III,IVの急性放射線症候群で生存した患者では、造血器の回復は1か月以内に起こった。しかし、免疫系の回復には半年かかり、完全に正常化するのに数年かかっている。これらの急性放射線症候群を呈した患者では、白内障と皮膚障害が重要な問題となっている。1990年から1996年にかけて、15名の急性放射線症生存患者が広範な皮膚障害のために手術を受けている。ほとんどの急性放射線症候群生存者で1996年までに機能性性機能障害がみられたが、事故後5年で、生存者の家庭で14名の正常な子供が生まれている。 周辺の一般住民については、急性放射線症候群を生じるような大線量の全身被ばくを受けた者はいなかったことが、1986年5~6月に11,600人について調べたベラルーシの調査で確認されている。 注1 UNSCEARの2000年報告書では「急性放射線症」を用いている。 |
キーワード | 原子力発電所事故 |
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参考文献 | UNSCEAR、「放射線の線源、影響及びリスク : 原子放射線の影響に関する国連科学委員会の,総会に対する1988年報告書」原子放射線の影響に関する国連科学委員会編、放射線医学総合研究所 監訳、実業公報社、東京、(1990) UNSCEAR、「放射線の線源と影響 : 原子放射線の影響に関する国連科学委員会の,総会に対する2000年報告書」原子放射線の影響に関する国連科学委員会編、放射線医学総合研究所 監訳、実業公報社、東京、(2002) IAEA, One Decade after Chernobyl: Summing up the Consequences of the Accident Proceedings of an International Conference in Vienna, Austria, 8-12 April (1996) The World Health Report 1996, Fighting disease, fostering development, (1996) UNSCEAR, UNSCEAR 2008 Report: Sources and Effects of Ionizing Radiation.(2008) |
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作成日 | 2019/03/01 |
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