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大分野 防護
中分野 主な事故・事件(対応を含む)
タイトル 東ウラル放射能事故、キシュテム事故、南ウラル核事故
説明 ウラル山脈は、ヨーロッパ-アジアの境界をなし、ヨーロッパ側から見た場合エカテリンブルク市やチェリャビンスク市はウラル山脈の東側に位置し、東ウラルと呼ばれる。
1948年6月に生産連合マヤクがチェリャビンスク市の北北東71km、キシュテム市の近くに設立され、ここにプルトニウム生産のためのマヤクコンビナートができた(所在地は秘密、郵便番号でチェリャビンスク40と呼ばれた。後に65に変更)。再処理施設等が本格的に稼動した1950年代は、生産連合マヤクの初期段階の頃でもあり、再処理施設からの高レベル放射性廃液は、テチャ川やカラチャイ湖に放流された。その後、周囲をコンクリートで固め、その中に設置した金属製タンク群に注入して貯蔵した。崩壊熱による廃液温度の上昇を制御するため、タンク群は水で冷却した。この冷却装置の制御機が故障してタンク中の水分が蒸発し、硝酸塩や酢酸塩化合物の沈殿物ができ、それが乾燥して330 - 350度に温度が上昇し、1957年9月29日現地時間16時20分にタンクは大音響とともに爆発した。爆発により200万Ci(7.4×104TBq)の放射能が、空中に飛散して放射性雲となり高度約1kmに達し北北東に流れ環境汚染が発生した。1957年当時に地表汚染を測定した結果によれば、ストロンチウム90(90Sr)換算で 0.1Ci/km2の汚染範囲は長さ300km、幅30 - 50kmに達した。この事故は、東ウラル放射能事故・キシュテム事故・南ウラル核事故、東ウラル放射能痕跡(EURT)などと呼ばれている。
キーワード
図表
参考文献 DRESA「低線量放射線安全評価データベース」(2000年度制作 企画:文部科学省 制作:日本原子力研究所)
参照サイト
作成日 2015/02/28
更新日